グレイトフルメソッドの猪上です
前回の続きです
クリエイティブな世界に憧れて美大受験を決めた僕は
美術の短期大学に進学しました
美大には、クリエイティブな人たちがいっぱいいましたね
アートや彫刻、版画、あとデザイン
美大だから当たり前なんですけど
そういうことをやってる人たちがいっぱいいて
なかなか刺激的な日々を送ることになりました
美大生活は楽しかったです
楽しかったんですけど、
結局、ここでもみんな、お金の話をするんですよね
僕は油絵科で油絵を描いてたんですけど
「絵の具代がないからバイトする」
「どこの時給はいい」
「どこの現場がいい」
そんな話ばっかりしてるんです
もちろん、アートの話もするんですけどね
また「引き出し」かと思いました
ここでも「引き出し」が出てくるんだなと
ずっと思ってました
当時の同級生を見ていると
女の人は、派手になっていく人もいれば
地味になっていく人もいました
男の人の中には、アートでは食えないので
肉体労働とかアートと全く関係ない仕事をしている人もいましたね
あと、ここでもボンボンはいまして
ボンボンは親の仕送りで、ぬくぬくとやってました
そんな中、僕はというと
クリエイティブな人たちの中でバンドを続けてました
でも、短大なので、2年間しかないんです
2年間なんてあっという間です
このまま四大に行こうかなみたいなことも思ったんですけど
バンドで自分の人生をつくれないかっていう可能性に憧れた僕は
四大には行かず、バイトしながらバンドを続ける生活を選択しました
卒業してからは
バンドを続けるために、いろんなバイトをしました
ラーメン屋、清掃業、4トントラックの運転手、カフェ店員
いかがわしい仕事もしましたよ
とにかく、ありとあらゆる仕事をしました
そのころはインターネットもなかったので
アルバイトはバイト情報誌で探してたんですね
あるとき、バイト情報誌の中に
「三つの自由がある」っていうコピーを見つけました
「働く時間が自由」「働く場所が自由」、あとは「稼ぐ金額も自由」
つまり、好きな時間に好きな場所で働いて、頑張れば稼げるよっていう仕事です
面白そうだと思って読んでみると
それは焼き芋屋の仕事でした
皆さんも見たことがあると思うんですけど
石焼き芋を軽トラックで売る仕事です
これは確かに働く時間は自由ですよね
バンドをやっていた僕は時間が欲しかったので
働く場所が自由というのはとても魅力的でした
で、場所も自由で自分の頑張り次第で稼げる
すごくいいビジネスだなと思いました
バイトというよりは、いわゆる商い、商売ですよね
この商売は面白そうだと思いました
焼き芋屋の賃金は日給や時給では支払われません
雇用主から芋を買って車を貸してもらい、燃料代を払います
「ここが売れるよ」っていうようなことは教えてもらえるんですが
どれだけ仕入れてどれだけ売るかは
すべて自分の采配で決めるわけです
それで出た利益が自分のものになります
これは、すごくシンプルなモデルだと思いましたね
焼き芋屋は僕に向いていたようです
で、始めて1カ月ほどたったころ、ふと思ったんです。
「これ、自分でやるとしたら、どれぐらいお金かかるんかな」
必要なものは軽トラックと、焼き芋の釜です
まずは中古車屋に軽トラの値段を調べにいきました
軽トラって、幾らだと思いますか?
実は、中古だと10万で買えるんですよね
次は焼き芋の釜です
軽トラのようには売ってないです
が、美大時代の友だちには鉄鋼関係の作品をつくる人たちがいて
そういう人って鉄工所で働いてるんですよね
鉄工所に見本を持っていって
「この釜ってなんぼでつくれんの?」って聞いたら
これも10万円なんですね
あ、それやったら自分でやったほうが早いなと思いました
自分でやると芋の仕入先なんかも自由になるんですよ
僕は焼き芋屋を自分でやろうと決めました
10万で車を買って
10万で焼き芋の釜をつくってもらって
プロパンガスを設置して自分で芋を焼けるようにして
とうとう自分で焼き芋屋を始めました
やってみると、すごい楽しかったんです
ただ、バイトでやってたときっていうのは
ここが売れるよって売る場所を教えてくれてたんですね
当たり前なんですけど、それがなくなる
自分の采配でやるっていうことは
売る場所も自分で決めなきゃいけないっていうことなんですよね
そうなってみて初めて分かったことは
売れるところには、ついてるんですよ
昔の僕みたいな焼き芋屋会社さんのスタッフというか
そこから車を借りてる人がついてるんです
当たり前ですよね
で、下手に繁華街とかに行くと
まあまあ、お分かりだと思うんですけど
面倒くさい人が寄ってくるんですよね
映画とかで見たことがあると思うんですけど
「誰に断って、ここで商売してるの?」
「いや、断ってないですよ」
「ほんなら、俺にお金払ってね」
そういう世界なんです
いわゆるショバ代ですね
これは面倒くさいなと思いましたね
払ってめちゃくちゃ売れるんだったらいいけど
たいして売れるわけでなし
ここでする必要もないなと思ううちに
自然と、どんどん繁華街から離れていきました
繁華街から離れて離れて
いわゆる郊外に行って
郊外からも、どんどん離れていく
自分の車なので、どこ行っても自由
そして、どこに止まっても自由なんですよね
ふと思いついて、日本巡業でもしようかなと
どこに行っても自由なら、日本巡業したれと
僕、映画も好きで
フーテンの寅さんみたいな生活に憧れがあったんですよね
寅さんみたいに日本中を巡業して
行商の旅ができたらいいなと思って
ローカルなほうに、どんどん進んでいきました
都会を離れてみて分かったのは
焼き芋って実は地方のほうが売れるんです
普通は人が多いところのほうが売れるだろうと思いますよね
たくさん人がいれば売れる確率が上がりそうな気がしますよね
ところが、実際は地方に行くと売れるんですよ
地方に行けば行くほど売れます
行ってみて分かったんですけど
地方に行けばライバルがいないんです
都会は人が多いから、買ってくれる人も多いだろうとついつい思うんですけど
買ってくれる人が多いところは売る人も多いんです
地方に行くと、場所によっては「初めて焼き芋屋を見たわ」みたいな話にさえなります
ということは、売れますよね
後で、いわゆるマーケティングの勉強とかをして思ったのは
これ、ランチェスターの戦略なんですよね
「弱者」は戦える場所を見極めて戦えという
つまりは狭い地域でナンバーワンになれっていうやつですね
それを地でいってたなという感じです
地方に行けば行くほど売れると分かった僕は
関西から東のほうへ、どんどんどんどん進んでいきました
東にも拠点をつくって
といっても都心じゃないですよ
もっと離れたところです
長野とか静岡とか、そういうところに行ってました
寅さんよろしく日本中を回ろうと思ってたんですけど
さすがに荷物も多く
現実的には、冬の雪山とかは厳しかったです
なので、東北のほうは行けてないです
でも、それ以外は大体行きましたね
そんなこんなで、地方でランチェスター的に焼き芋屋を続けて
ここで学んだことは
みんなと同じことをやってても駄目なんだなということです
自分で資機材を用意して、面倒くさい人にも絡まれて
遠くへ遠くへと焼き芋を売りにいった体験から得た貴重な教訓です
若かったので、焼き芋で稼いだお金は
すぐに使ってしまってました
楽器を買ったり、CDを買ったり、散財してましたね
地方へ地方へと焼き芋を売りに行って
各地のCD屋さんとか古本屋さんとかをのぞいて
欲しいCDや本を買って
夜になったらサウナに泊まる
なかなか自由な行商の旅を続けてました
そんなある日、静岡でガソリンスタンドに入ったんです
僕の車のナンバーが神戸ナンバーなのを見て
ガソリンスタンドのバイトのお兄ちゃんが
「兄ちゃん、神戸から来たんか。神戸、えらいことになってるの知ってる?」
って言うんです
テレビを全然見てなかった僕は
何があったのかも当然知らなくて
「なんかあったん?」ってテレビ見せてもらいました
そこで阪神大震災が起きたことを知りました
大変なことになったと思って
ぱっと後ろを見ると
もう西に行く車が大渋滞してるんです
今日は朝から渋滞してるなとは思ってたんですけど
そういうことだったんですね
ガソリンスタンドの前は大きな国道だったんですけど
四車線の国道が西に行く車で大渋滞してるんですよ
あのころは携帯電話もあまり普及してなくて
僕も持ってなかったので、公衆電話から電話をしました
でも、電話してもつながらないんですよね
実家の家族、友達、誰に電話してもつながらないんです
これは帰るしかないなと思って
大渋滞の中を、3日ぐらいかけて関西に帰りました
帰ってみたら、ありがたいことに
僕の友達も家族もみんな無事でした
ただ、焼き芋カーが壊れてしまいました
数年間、重たい荷物を積んで何度も何度も山越えして
ずっと動いてくれた焼き芋カーが限界を迎えたんですね
阪神大震災で世の中が自粛ムードなのもあって
このまま焼き芋屋を続けるのは難しいなと思った僕は
ここでいったん焼き芋屋をやめることにしました
次回は、焼き芋屋をやめたあとの
まだまだ続く波乱の日々についてお話ししますね
お読みいただきありがとうございました