グレイトフルメソッドの猪上です
前回の続きですね
阪神大震災を機に神戸に戻ったタイミングで
中古の軽トラが壊れてしまい
焼き芋屋をやめたところまでお話ししました
焼き芋屋はやめましたが
自分で商売することを覚えると、また商売したくなるんですね
当時、世の中は震災ムード
というわけで、ボランティアに近い、がれきの分別みたいな仕事を始めました
がれきに埋もれた写真を探してあげるとかね
そういうこともやってました
そうこうしているうちに2、3カ月たって
なんとなく生活も落ち着いてきて
僕にも行きつけのバーができたんです
僕、音楽が好きで、バンドもやってたっていう話をしましたよね
レコードが4000枚ぐらいあって
お酒を飲みながら好きな音楽が聴ける
そういうバーを見つけて、通うようになったんですね
オーナーとも顔なじみになって、自分のことも話すようになって
焼き芋やっててねとか、音楽好きでねとか
いろいろ話したんですよね
4回目くらいにお店に行ったとき
オーナーから
「おまえ、この店やれへんか」
って言われたんです
「え、なんで??」
オーナーは店を畳みたいわけじゃなく、子育てに専念したくて
その間、1、2年、店を任せられる人を探してたらしいんですよね
そんなときに僕を見て、狙いどおりのやつが来た!と思ったんでしょうね
「おまえ、この店、やってみいひんか。
給料は払えへんけど、自分の好きなようにやってええよ。自分の采配でやってくれ」
給料はもらわずに、家賃とか光熱費とか仕入とか、そのへんの采配は全部自分でやる
これは
いわゆる焼き芋屋方式ですね
声をかけられて、それは面白そうやなと思って
僕、お酒も作ったことなかったのに
「やるやる」って即答したんですよね
3日後には、バーテンダーとして店に立ってました
僕が経営を預かった店は音楽のバーなので
基本的に、おしゃれなバーではないんですよ
どっちかといったらラフな感じのバーです
僕自身、バーテンダーになったばっかりっていうこともあって
振りもんとか難しいメニューは、頼まれても断ってたんです
「おしゃれなバーで難しいカクテルを飲みたい」
そういうお客さんは要らない、とまでは言わないけど
この店は、そういう店じゃないんですよっていうカラーにしていきました
で、自分の好きな音楽をばんばんかけたんです
そしたら自分の好きな音楽に反応してくれるお客さんが出てきて
音楽の趣味が共通してると、やっぱり仲良くなるんですよね
「この店でイベントやろうかな」みたいなことになって
「ああ、やりましょう、やりましょう!」
それでイベントをやって
徹底的におもろい空間つくろうよ!っていう感じでやってましたね
週に1回ぐらい、定期的にイベントをやって
お客さんもたくさん来るようになりました
僕の好きな音楽は、なかなかマニアック音楽なんですけど
そういう音楽が好きな人は、遠方からでも聴きに来るんですよね
で、そんな人ほどリピート率が高いんです
ここも、ちょっとしたランチェスターですよね
例えば、あるアーティストにテーマを絞ってイベントをしたり
逆に、イベントしたい人おらんか?って聞いてみたり
そういうことをしてると、どんどんマニアックな人が増えていきました
そして、どんどんランチェスターになっていきました
人って、みんな、自分のことを分かってほしいんですよね
みんなが好むような曲ばっかりかけるから
「その他大勢」になっちゃうんです
めちゃくちゃマニアックな音楽にテーマを絞ると、それが好きな人が動く
そうすると関係性が強くなるんです
バーの経営はすごく楽しかったので
ほとんど休まず営業しました
休んだのは、1年間で1日か2日でしたね
それぐらい面白かったんです
働きすぎて体も疲れてきたころに、オーナーとの契約の期限がきました
そのまま続けることもできたんですが
もともとのオーナーがいる限り、自分の店ではありません
当然、オーナーも口を出したくなるし
僕もどうせやるなら、いつか自分のバーを持ちたいと思いました
そんなわけで、常連さんには「また自分で店をやるときは連絡するから」と言って
契約は終了することにしました
バー経営でお金が少し貯まったので
次に僕は、バックパッカーになりました
日本国内は焼き芋屋で回ったし
ちょっと世界を見たいなと思ったんですね
アジア、アメリカ、ヨーロッパと回りました
バックパッカーなので、リュック一つ持って
基本的に物価の安い国に行くんですよね
行く先々で、日本との物価の差に驚きました
めちゃくちゃきれいなビーチの前のコンドミニアムに
なんと数百円で泊まれるんです
世界に目を向けると、そういった現実があるんですよね
僕は、日本の経済力で世界の旅を楽しんだわけです
当時、物価の安い国といえば
タイ、インド、ネパールあたりでした
今でも安いんですけど
当時は今よりさらに物価が安かったんですね
一見、貧しそうな国へ行ってみると
そこに住んでいる人たちは、むちゃくちゃエネルギッシュでした
すごい生命力を感じるというか
インドなんか特にそうですけど
歩いてるだけで、すごい売り込みをされます
こっちが「要らん」って言っても、かまわずついてくるんです
特に日本人は、いいカモなんでしょうね
しつこくついてこられるので、初めは困りましたが
「なるほど、商売って、最初はこういう感じで始まるんだな」
と冷静に見られるようになり
だんだんと、売り込みを上手にあしらうことができるようにもなりました
そんなこんなで、2年ほど、なかなか楽しくバックパッカーをしたんですね
で、いいかげん、お金もなくなって、日本に帰ってまいりました
そろそろ働かないとやばいです
またバイトに戻るか、もしくはバーを経営するか……
悩んでいた僕に
美大受験のときにデッサンを習ってた絵の先生から連絡があり
久々に会うことになりました
先生が言うには
画廊喫茶を始めるから、そこのスタッフになってくれと
その先生は、前述のとおり、なかなか反体制な意見を持った人で
まあまあ、すごいアーティスティックなんですよね
で、似た者同士が集まったグループっていうのがあって
年に1回ぐらい、個展までいかないグループ展をやったりしてたんですね
そこからの流れで、先生ご夫妻で画廊喫茶でもやろうかということになり
スタッフがいないからと僕に声がかかったようです
おお、画廊喫茶、いいじゃん
渡りに船です
時給は超安かったんですけど
画廊喫茶で働いて、ちょっと日本の感覚を取り戻して
それから自分の店でもやろうかなというつもりで
僕は画廊喫茶で働くことにしました
ふたを開けてみると、画廊喫茶の経営はうまくいきませんでした
先生たちは、きっとうまくいくと思ってたんでしょうね
全然お客さんが来なかったんです
最初は、パーティーとかで来たんですけど
あとは全然駄目でしたね
近くに大学があって、そこの生徒も見込んでたようですが
経営があまりになってないから、これも無理でした
僕は一人、ぽつんと店番です
本だけはゆっくり読めましたね
逆に言うと、本読みに行ってるだけでした
どうしてうまくいかなかったのか
僕は焼き芋屋やったし、バーの経営もやったので
当時、いわゆる商いの基本は既に分かっていたつもりです
かれこれ5年以上、誰にも頼らず、自営業で食べてきてましたからね
そんな僕から見ると、先生たちの「夢の画廊喫茶」は
あれもこれもって自分たちの理想を詰め込みすぎてたんですよね
で、それが、ことごとくうまくいかなかったんです
はっきり言うと、そのこだわりが売れないんだよっていうことなんです
自分たちのやりたいことと、お客さまの求めてることは全然違う
そのことが分かっていませんでした
それは、すなわち商いが分かってないっていうことなんです
ど素人すぎる経営に、正直言って僕はあきれてしまいました
僕が言いたかったのは
自分の理想をいくらお客さんに押し付けても
お客さんから評価されなかったら商売にはならないですよ
っていうことです
とはいえ、そんなことを僕が言っても、先生たちは聞く耳持たないですよね
開店から半年もしないうちに
見たくなかった現実が目の前で繰り広げられました
また、あの「引き出し」です
先生ご夫妻が、毎日けんかしてるみたいなんですよね
アーティスト同士で、お二人ともいい絵を描いているのに
家の中では毎日けんかしてるんです
原因は、あの「引き出し」と決まっていました
毎日毎日けんかをしてて
朝、僕が仕事に行くと、なんとなくその残骸を感じるんですよね
言葉の端々に残り香があるっていうのかな
そういうのって感じるじゃないですか
最初は残り香程度でしたが
しまいには、僕の目の前でもけんかするようになりました
結局、その店では給料が払えないということで
僕のアルバイトは終了となりました
給料はほとんどもらえなかったけど
本だけはゆっくり読めたので
自分の今後をどうするか、考える時間は十分にありました
画廊喫茶の経験から、カフェ経営をしようかとも考えました
ただ、読者の中にもカフェ経営者がおられるかもしれませんが
カフェって、自分のこだわりを出したくなったりして
初期投資に結構お金がかかるんですよね
ミニマムスタートができないっていうことで
それは、つまりリスクが高いんですよね
うーん、どうしよう……
結論から言うと、偶然に偶然が重なって
僕はその後、人生初のサラリーマン生活を送ることになります
その話は、また次回にしますね
今日も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました