選択肢のある起業家に変わるために Vol.1

グレイトフルメソッドの猪上です。

今回から5回に分けて、僕自身のテーマについて

それから、なぜ起業して今の人生ラインにいるのか

そのあたりをお伝えしたいと思います

 

なんで学び続けてるのか、なんで実践してるのかということを

具体的にお伝えしますね。

 

僕自身のテーマは、いつでも選択肢のある人生を送るということです

選択肢のある人生って何なのかっていうことも

おいおい書いていこうと思います

 

 

 

最初に、僕の基盤となる子どものころの話から

 

僕は子どものころ、団地暮らしでした

当時、おやじが働いてた造船所の社宅に住んでいたんですよね

社宅なので、生活レベルでいうと

同じような人たちが集まってました

 

15棟ぐらいあった団地の真ん中には公園があって

そこで、よくキャッチボールをしてました

球が向こうまで飛んでいっちゃって窓ガラスが割れたとか

そんなのはしょっちゅうでした

 

加古川っていう大きな川や、あと池とか湖も近くあって

釣りをしたり、自然と遊べるような場所でした

今でも自然が好きな僕のルーツは、そこにあるのかもしれません

 

夕方になると団地のお母さんたちが集まって、井戸端会議をしてました

昭和の終わりの、のどかな感じですかね

そんな場所で育ちました

 

 

のどかな団地生活ですが

小学校高学年にもなってくると、なんとなく周りの雰囲気が分かってきました

よく、近所の人が夫婦げんかしてるんです

団地って、反響して聞こえちゃうんですよね

「うまくいってる人ってあまりいないんだな」って

なんとなく思ってました

 

で、うちはどうなのかっていうと

うちの中でも、やっぱり夫婦げんかをしてました

おかんがブティックの経営を始めたんですけど

そのころから、おやじとおかんの夫婦げんかが増えました

 

けんかの原因は分かってるんですよ

それは「引き出し

お金の入った「引き出し

 

引き出し」をめぐって、いつもけんかをしてるんです

あの「引き出し」に手をかけると、けんかが始まるんやなって思ったのを

今でもよく覚えてます

 

 

僕が小学校を卒業するころ

おやじが独立してヨットの会社を始めたので

造船会社の社宅を出て、神戸に引っ越しすることになりました

中学生時代は、神戸の下町で過ごしたんですね

 

 

神戸の街は、団地暮らしとは雰囲気が全く違ってて

いわゆる格差社会でした

 

いろんな人がいて、ごちゃまぜで

ぱっと見た雰囲気で、その家庭のレベル感が分かるというか

まあ言えば、分かりやすい感じだったんですよね

 

いわゆるボンボンの人たちと、やんちゃな人たちがいるんですね

ボンボンの人たちは、おとなしい人が多かった

やんちゃな人は元気があって

当時、『ビー・バップ・ハイスクール』とかがはやってたんですけど

ほんとに、あんな感じの人がいましたね

 

僕は、ボンボンともやんちゃとも、両方と仲良かったんですけど

ただ、やんちゃな人たちは

やっぱり「引き出し」の話をしてるんですね

お金の話です

やれ、どこは時給がいいとか、やれ、どこの現場の仕事がいいとか

やっぱり、そんなことを言ってはるんですよね

 

 

あるとき僕は、自分でバイトしてウォークマンを買ったんですよね

当時、出たばっかりで、2万円ぐらいだったかな

ソニーのウォークマンです

 

僕は、そのころには、すごい音楽好きになってたので

そのウォークマンで音楽を聴きながら学校に行ってたんです

 

ある日、体育の着替えのときに

脱いだ服の上に、そのウォークマンを置いといたんですよね

 

体育の授業が終わって帰ってくると

僕のウォークマンはなくなってました

 

いわゆる窃盗っていうか

盗まれたっていうことなんですよ

 

もちろん、自分の身の周りも探しました

でも、明らかに盗まれてるんですよ

 

そこの学校って

みんな知ってるんですよね

誰がやったか、みんな知ってるんです

やったのは、やんちゃのリーダー格の人です

 

で、何を言われたかというと、僕が悪いって言われたんですよね

こんなとこに置いてるほうが悪いって

そうなんかなと思って

けど、僕はそのとき、やっぱりこういうのいややなと思ったんです

 

 

ここでも、また「引き出し」ですよね

あのウォークマンがお金に替わったのかどうか分からないけど

やっぱり、お金の話なんですよね

 

やんちゃな人たちは、バイトとかしてたと思うけど

やっぱりウォークマンとかに目が行ってなくて

身の周りのものにお金を使ってたのかな

 

大して音楽とか、興味がなかったと思うんですよね

ただ、ウォークマンがはやってて

それで人の物を取るっていうのが

僕は、すごいいややなと思ったんですよ

 

 

じゃあ、ボンボンの人たちというのはどうなのかっていうと

彼らは彼らで、なんか元気ないんですよね

なんか、いつもビクビクしてるっていうのかな

 

神戸の下町の学校は、そんなバランスの学校でした

 

 

学校での毎日はそんな感じでしたが

そのころって、ちょうどバンドブームで

僕もバンドを始めました

 

バンドっていうのは、ドカンと音出して、それがシンクロして

アンサンブルっていうんですけど

それがすごい楽しいなと思いました

で、ちょっとクリエイティブなことしたいなと思うようになっていったんですね

 

 

ボンボンとやんちゃに二極化されてて

自分の物がなくなる学校

みんなが結局、金の話ばっかりしてる学校

 

このまま神戸の学校のまま行っても

その人生ライン、たぶん楽しくないだろうなと

 

クリエイティブな人が集まるようなところで生きてみたいなと

僕は、おぼろげながら思うようになってました

 

 

ちょうど、そのころ美術大学っていう存在を知って

僕は美術大学に行こうと思うようになります

 

美大に行くためにはデッサンが必要なんですけど

たまたま、おかんの知り合いに絵の先生がいてはって

そこに通うことになったんですね

 

先生にデッサンを習い始めてみると

その先生が、一般常識とは反対の言葉を言い続ける人だったんです

常に、世の中を斜めから見てるような人なんですよね

 

で、その絵の先生が所属してるグループは

反体制っていうほど大したものじゃないけど

自分のアートで世界を変える、そんな感じの人たちが集まってて

 

そこの人たちの言葉には、僕はかなり影響されましたね

僕の価値観は、そこでだいぶ変わったと思います

 

一般的な、ぬくぬくとした言葉じゃなくて、いわゆる少数派の言葉です

もっと言うと、はやりものとかじゃなくて

そうじゃないほうの言葉っていうのに影響されました

 

世の中の矛盾っていうんですかね

ひずみっていうんですかね

そういったものを表現してる人たち

そういう人たちの言葉を、ずっと聞き続けてたんですね

 

僕は、いまだにそういう本も読みますし

そういうドキュメンタリーの映画とかを見るんですけど

言ってることが、すごく分かるんですよね

 

 

必然的に、なんとなく神戸の学校の友達と価値観が合わなくなってきたころ

どうにかこうにか美術大学に合格することができました

 

神戸の学校を卒業した僕は、美術大学に行くことになりました

 

 

次回、美大入学以降の話をしますね

お読みいただきありがとうございました

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